オピニオン

「センスのよさ」は圧倒的な経験から培われるものだということ

センス

カメラ女子ゆかたん(@AgriBloger)です。


昨日ふと考えたことがあります。

カメラをはじめてからたくさんの写真を目にするようになりました。

そしてカメラ仲間ができるようになりました。

そこで気づいたのは、写真がうまい人は他の人よりも圧倒的に撮っているってことです。

 

それに付随して思い出したことがあります。

わたしは昔、記憶のない頃から絵を描いていました。その生活は中学生まで続いて、10年ほど描きつづけたわけですが。

自分ではまだまだだ、と思って描いていたけど周りの人は「上手だね、センスがあるね」とよく言ってくれました。

 

それはわたしに元からセンスがあったわけではないのです。

わたしの作業量が多かったからです。

 

淡々と描いて、反省して、改善する。

そしていろんな人の絵を見ました。街中にあふれるデザインを参考にしました。

いいと思った作品は自分に取り入れていた、ただそれだけです。

そしてそれをくり返すことは何の苦でもなかったし、描きつづけることが努力だと思ったことは一度もなかったような気がします。

 

だからどの分野においても「センスがいい」と言われるひとはたくさんいますが、そういうひとたちは影で紛れもなく努力してるってことです。

そして継続してるひとです。

そもそも努力を努力と思ってない人間がその分野のトップにまで登りつめることができると思いませんか?


だからあのひとはセンスがいいから自分はこんなもんなんだって思うのはちょっとちがいます。

大谷翔平だって野球クラブに入ったその日から2刀流の才能を開花させたわけじゃないですからね。

 

大人になって子供のころのような熱量で何かに没頭しつづけることが減ったように思います。

飽き性なのは元からにしても、没頭した時にかける熱量は子供のころに叶わないなあと。

 

その中でもカメラは久しぶりに出会えた「没頭できるもの」なんですが、それでもまだまだなんです。

でも、この感覚は久しぶりだって思えたのがうれしかったのかもしれない。

 

だからあの時に比べたらまだまだ自分はやれるんじゃない?って思うんですよね。

子供のころの自分が大人になった自分の背中を押してくれました。

 

p.s. わたしは元美術部なんですが、今は壊滅的な絵しか描けない人間に成り下がっているので絵描いてとかは絶対にいわないでください( ^∀^)