農業女子ブロガーゆかたん(@AgriBloger)です。
30年前に書かれた1冊の本を紹介しようと思います。
北の炎 – 太田寛一 /島一春

あらすじ
大正4年、北海道十勝の開拓村に生まれた太田寛一というひとりの男がいました。
当時の開拓村は非常に貧しく、北海道での農業に苦労する日々が続いたのです。
太田寛一が子供のころ、母はいつもひとりで畑作業をしていました。
「百姓のくらしがらくになる世の中になるのは、いつのことだろうね」
この時の悲しみと憤りが彼の原動力の源となり、農家のために人生を捧げることになるのです。
これは太田寛一の肩書きを並べただけですが、ここに至るまでに様々な事業を次々と成功させました。
- 士幌村(町)農業協同組合組合長
- ホクレン農業協同組合連合会会長
- 全国農業協同組合連合会(全農)会長
- よつば乳業創業者
これだけでもちょっとおかしいですけどね・・・
北海道十勝がまだ開拓されていた時代、百姓が足元を見られて困窮していた時代に彼は士幌農協などを設立し、役員として農家のために奔走することになります。
そして上の実績にある通り、彼は貧しかった農家の暮らしを47年の間に一変させる偉業を成し遂げたのです。
この本は農家の暮らしを豊かにすることに闘志を燃やした熱い男の一生を描いているのですが、まるでフィクションのようなドラマが記されています。
戦国時代の将軍の伝記を読んでいるかのような物語。
この太田寛一という男がいなければ、北海道の今の農業はなかったかもしれません。
それくらいなんども歴史を変えてきた人物なのです。
わたしは図書館で借りて読んだのですが、北海道の図書館や本屋でないと手に入りにくい本だと思われるので、太田寛一は具体的にどういうことをしたのか?
本の内容を簡単にまとめて説明したいと思います。
太田寛一の偉業
太田寛一が子供のころ畑仕事で働きづめだった母を亡くし、彼は農民の暮らしを豊かにすることを心に誓います。
太田は父親の借金を返済するため、農協ができる前の前にあった「産業組合」という組織で働いていました。
その産組は貧しくて弱い農民が結束して互いに助け合っていく目的でつくられたものです。
農民が団結する基盤はできている。だから組合員運動をすすめていけば農家が豊かになる日が、必ず来ると思う。
農村ユートピアだ。ユートピアを士幌に築く。それがぼくの理想なんだ。
そう信じた彼は47年間農協運動に携わり、農家の暮らしを変えていきます。
当時、作られていた馬鈴薯はデンプン工場に安く買い叩かれ、豊作凶作関係なく農家の暮らしはいつまでたっても豊かになりませんでした。
そこでデンプン工場を買い取り、農業会(農協の前身)の直営工場にすることにしたのです。
そこで建設に反対する農家に説得する場面で熱い言葉が放たれました。
これは千載一遇の機会であるとわたしは確信している。みなさんが反対されるのは自由だ。
さりながら目先のことにとらわれて、何んら確信のない反対をされるのは、子孫に悔いを残すことになりはしないか。
士幌農業の将来に取り返しのつかない汚点と後悔を残すことになりはしないか。あのときの総代が賛成してくれたら、こんな無惨な思いをしないですんだ、とほぞを噛む日が必ずやくるだろう。(中略)
今日の総代会は士幌農業百年の死活を決める正念場だ。
そして農業会の買い取りの適正さが農家に伝わりこれが大成功。
安く買い叩く業者はことごとく追い込まれたのです。そして、農業会の出資金の3倍の金を農家に還元することになりました。
このできごとがきっかけで、彼の経営手腕は評価され士幌の農業が変わっていくのです。
次にブドウ糖工場を創業。ちょっと簡略します。
その次に畑作と同じくらい盛んだった酪農に目をつけ、不安定だった乳価を安定させようと農協に牛乳を集めて、農協が高いところに売ることをはじめたのです。
これを「一元集荷多元販売」というのですが、この方式をスタートさせたのは士幌農協と言われています。
こうして農協の信頼が根を下ろし、裏取引がなくなりました。
さてまだまだあります。
日本で作られている砂糖の原料つまりビートの砂糖工場をホクレンではじめて創業したのも太田寛一。もはや何でもやってます。
そして新しい品種を海外から導入し、反収を2、3倍まで引き上げ、今まで作付けしても儲かることのなかったビートはこうして北海道の農業に根付き、大きな潤いをもたらすことになったのです。
簡単に書いてますけど、このいくつもの工場は毎回毎回すごい金額を調達しています。
その資金調達をする能力も圧倒的。彼に説得されたら反論できないほどの説得力があり、巨大な工場を次々と作っていったのです。
この他にもデンプンの価格が下落の一方で、値上げの陳情をするために政府を巻き込んで値上げに尽力したり、法律を変えることを要求して変えさせたりとまあ忙しい人なんですよ。
そしてみんな大好き「よつば乳業」の前身、北海道乳業株式会社は紆余曲折あってこれまたうまいこと資金を調達し東洋で最大の工場を作ることになりました。
こちらはバターや脱脂粉乳を製造していたようです。
こうたくさんのことを成し遂げてきた太田寛一ですが、彼は農協という組織で行ってきたというところです。
農協は農家が作った組織。農家が農家のために運営する、そこにこだわったのです。
農家が作った作物や牛乳を適正な価格で買い取ってもらえるように尽力して、士幌の農家みんなが豊かになれるようにしたかったんですよ。
こういう歴史的なところを見ると、農協は農家のための組織だって強く思いますね。基礎ができた今の時代には感じにくい部分です。
でこの経営手腕を持った太田さん、ホクレンや全農に引き抜かれ組織改革を行なった人物でもあります。
ホクレンは北海道の経済連なんですが、一時期業績不振で相当危なかったみたいですね。それを立て直したのが太田寛一。全農の古い体制に新しい風を入れたのも太田寛一。
こういう上司というか役員がいたら鼓舞すること間違いないですよ。
みんなの士気を上げるのが本当にうまい。
その中でホクレンの職員に痛烈な言葉を放っていたんですよね。
ホクレンは農協からの手数料で成立しているなんて、思ってはいかん。
ホクレンは肥料や餌を農家に売って、トンネルマージンで月給を支払っている会社ではない。薯(いも)は加工してデンプンにし、ビートで砂糖をつくる。
農畜産物に価値をつけるんだ。
その過程で生れた利益を月給として、堂々と胸を張ってもらえるようにせねばならん。それがホクレンであり、ホクレンの仕事だ。
系統のペーパーマージンに甘えるような根性は、下の下だ。
これ農協職員なら誰しもグサァっとくるはず。痛すぎるとこついてきたァってなる。
経済連ってふつうの農協の上に立っている組織で、肥料などの購買や農産物の販売手数料を農協から取っています。
でこの手数料が大きな収入源なんですが、農協の組織では必然だったわけです。
だからこれは、自分の組織の急所に自らメスを入れる発言なんですよ。
だけど太田寛一はその垣根を超えていけ、というわけです。
農村ユートピアはできたのか?
こうして太田寛一という男は農業の世界に旋風を巻き起こした人間になったのでした。
じゃあ本当に士幌の農家は豊かになったのか?
現在、JA士幌町は北海道の農協でトップクラスの豊かさを誇っています。
わたしの印象もあるけれど、北海道の農協はJA士幌には絶対叶わないって感じなんです。雲の上の存在なんですよねえ。
てことは農家さんの家計も相当改善されたわけです。
この本に記載されていた数字を引用します。30年前の数字です。
農協貯金(農協に貯金してる額)の1戸平均の保有高は2,200万円を突破した。全国平均は300万弱だから、七倍をぬく貯金額である。
士幌の農家経済の豊かさの証明と言えるだろう。
これ、1戸平均の貯金額だから末恐ろしいですな・・hahaha
30年前ですけどね。てか平均が低すぎて逆に心配になるんですけど。
これで、彼の人生をかけた「農村ユートピア」は完成したと言っていいのではないでしょうか。
昔は今とちがって北海道の気候にあった農業をすることは想像を絶する苦労があったんです。
それでも今北海道は北海道王国になれるほどの自給率を誇っています。先人たちの努力のおかげですね。
こうやって先祖の苦労があって今の北海道の農業はあるんだと知れて本当によかったいい一冊でした。
この伝記に書かれた太田寛一の人生がアツすぎて、読んでからよつば乳業の公式サイト見てたらうっかり感動してしまったくらいにはよかった。
北海道胆振東部地震で工場を動かしていたのはよつばだけだったという話もありますから、太田さんの信念は今の時代にも受け継がれているのだなと感じます。
北の炎、もしお目にかかる日がきたのならぜひ手にとって読んでみてくださいね。
おまけ
本は読めないけど気になる!って方は、太田寛一の資料館がJA士幌町にあります。
また「道の駅ピア21しほろ」にあるカフェ寛一でお顔がスタンプになったおいしいコーヒーが飲めますよ!

